日本初の”スローフード・コミュニティ”である「内藤とうがらしコミュニティ」が発足しました。

内藤とうがらしは、江戸時代に新宿御苑が内藤藩の下屋敷だった頃、敷地内の畑に一面に栽培されていたとうがらしです。

 

江戸時代は戦乱の世が終わり、暮らしも豊かになったことから、江戸の街では白米が甘くて美味しいことから、白米を多く食べる人が増えました。が、ミネラル分の不足で脚気となる人が増え、「江戸患い」と呼ばれるようになりました。

ちなみに、玄米を食べていた地方では、脚気は流行らなかったそうです。

 

この事態を憂慮した幕府は、江戸の大名屋敷で野菜を育てて食べることを奨励、各大名屋敷は地元から種を取り寄せ、栽培を始めました。

これが、今再び活気づいている「江戸・東京野菜」の原点となっています。

 

庶民の間で、蕎麦を食べる人が脚気になりにくいということが伝わったことから蕎麦がブームとなりました。そして、薬味としてのとうがらしが人気となりました。そこで内藤藩ではとうがらしを栽培し、今の新宿御苑のあたりはかつて、一面が真っ赤になるくらいとうがらしが収穫されるくらいだったとのことです。

 

 

内藤とうがらしは、辛みはさほど強くなく、どちらかと言うと旨味成分が特徴的なマイルドな辛さが特徴です。が、庶民はより強い辛さの「鷹の爪」を好むようになり、内藤とうがらしは徐々に廃れてしまい、やがて江戸時代の終わりとともにほぼ絶滅してしまいました。

 

現在、食料自給率1%と言われる東京にあって、野菜を育て、収穫し、それを使って料理をする、という農的生活を人々に伝えていくのにどうしたらいいか、と考えていた成田重行氏が、江戸時代の文献からこの内藤とうがらしの存在を発見、今でもその種が残っているのか探し始めたところ、種子バンクに保存されていました。

 

そこから数粒を分けてもらい、成田氏が所有するそばの畑(山梨県白州市)で隔離栽培、3年間かけて数粒の種が何万株の唐辛子に育ち。固定化を成功させました。そして2010年に「内藤とうがらしプロジェクト」を発足させました。

 

地元の歴史を担った内藤とうがらしは、新宿区の行政をはじめ、区内の小学校、中学校、高校、大学に徐々に賛同の輪を広め、校庭や敷地内での栽培が始まりました。


さらに、伊勢丹、中村屋、高野フルーツパーラー、紀伊国屋書店など、新宿区内の老舗の企業やお店が内藤とうがらしを使ったオリジナル商品を展開、一方で区内の若い新しいレストランや飲食店でも内藤とうがらしを使って「新宿区の名物」としてメニュー開発をするようになりました。

 

苗を一般に販売できるようになってからは、毎年4月末~5月いっぱいくらい、新宿区内各所で苗の販売を開始、いまや新宿区内20万世帯のうち5,000世帯が栽培をするまでになっています。
 

 

今後の目標としては、

・新宿区20万世帯の10%にあたる2万世帯にとうがらしを栽培していただけるよう、とうがらしを通じて、大都市・東京における農的生活の大切さを訴えていく。

 

・スパイスであるとうがらしは、料理に活用しやすいため、新宿内の料理店やお店で栽培し開発した料理メニューをSNSなどで上げてもらい、地域食材として地産地消を進め、区内の地域経済発展に役立てていく。

 

・小中高校、大学で栽培することで生徒や学生たちに新宿区の歴史を食から学んでもらいつつ、持続可能な地域社会を作っていくことの大切さ、また地域コミュニケーションの役に立ててもらう。

 

・新宿区には歌舞伎町という大消費地がある。とうがらしから抽出した成分・カプサイシンを、カラスやねずみ被害から守るために活用してもらうべく、高校・大学の学生が中心となって、商店街と協働でその方法を模索していく。

 

・新宿区は、多様な人種が暮らす地域でもあるので、とうがらしを使った料理会などを自主的に開催してもらい、持続的なコミュニティづくりに役立ててもらうよう、町会やNPO等と連携していく。

 

そして今回、スローフード内藤とうがらしコミュニティを設立したことで、今後は海外のとうがらし生産者、コンビビウム、コミュニティとの交流を進めていきたいと考えています。

 

10月には、「とうがらし村」として有名なフランス・エスプレット村を、スローフード・ペイバスクのメンバーのコーディネートにより内藤とうがらしコミュニティのメンバー約20名で訪問、「とうがらしフェスティバル」でブースを持たせていただき内藤とうがらしのアピールをさせていただく予定です。 また、さらに新宿という地域を深堀りしながら、世界のとうがらしを通じた仲間たちとの交流を進めていきたいと考えています。

 

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